「坂の上の雲」と韓国併合100年 、講演会に参加(10月17日)
日朝協会と日中友好協会の両蕨支部は共催で17日、学習講演会「『坂の上の雲』と『韓国併合』100年」を行ない、梶原市議も参加しました。講師は、蕨高校で11年間教師をつとめたこともある関原正裕氏です。
昨年からで司馬遼太郎原作の「坂の上の雲」がNHKで放映されています(第2部が12月5日から)。NHKはこのドラマについて、「日露戦争をたたかった『少年の国・明治の物語』」「新たな価値観の創造に苦悩・奮闘した明治という時代の精神が生き生きと描かれています」と、企画意図で述べ、当時の日本政府が朝鮮の人々におこなった侵略的行為を全く考慮していません。今年の8月で、日韓併合から100年を経過しましたが、明治から昭和に至る過程で、日本が東アジアに対してどのような行為をしてきたのか、改めて正しい歴史認識を持つために企画された講演会でした。
明治政府の中心となった旧長州藩幹部の考え方から、明治新政府が当初から朝鮮蔑視・朝鮮侵略の思想を持っていたことに講師は言及。1871年から約2年の岩倉使節団の意味。大国主義路線のさきがけとしての75年の江華島事件。89年の大日本帝国憲法の成立。94年の日清戦争で約5万人の朝鮮民衆を殺害したこと(日本軍による最初のアジア人虐殺)。1902年の日英同盟は、当時の超大国イギリスに、日本の朝鮮における独占的な優越権を認めてもらうことに本質があったこと。04年からの日露戦争では、すでに英仏などに認められた朝鮮への優越権を、ロシアにも認めさせることに目的があったと解説しました。
日露戦争直前から、朝鮮には日本の軍隊が居座り、05年の第二次日韓協約は軍事的な威嚇の中で強制的に結ばせ、06年には韓国統監府を設置(初代統監・伊藤博文)。07年に韓国の軍隊は解散させられ、以後義民闘争が拡大。その過程で、安重根(アン・ジュングン)による伊藤博文射殺も起きました。日本軍は義兵には村ごと焼き払う徹底的な殲滅作戦を展開。ついに10年8月韓国併合条約が成立。条約第1条は「韓国皇帝陛下は韓国全部に関する一切の統治権を完全かつ永久に日本国皇帝陛下に譲与す」としました。
なお、1895年の日清講和条約(下関条約)第2条で、遼東半島・台湾・澎湖諸島が日本に割譲されましたが、ここに尖閣諸島は含まれておらず、尖閣諸島は中国の領土との中国政府の主張は根拠がありません。
講師の関原氏は蕨の歴史にも詳しく、わらび神社の日清・日露戦争の碑には蕨町(当時)の出征兵士の名が刻まれていること。日露戦参加の兵士への通信活動をしていた蕨町の永井磯吉さんの文献。明治26年に三学院で自由党(自由民権運動のリーダーを多数輩出)の演説会が行われた記録の紹介など、地域の歴史にも話題を広げました。
時宜にかなった講演会に会場いっぱいの30人以上が参加。祖父が日清・日露戦争に参加したという中央在住の女性は「戦争をよしとする世論をつくった教育はおそろしい」。塚越の女性は、東学農民軍の旅に昨年参加したときの感想。中央の男性は、日中韓の共通の歴史認識を持つ努力が大事だと発言。日朝協会本部代表理事の岩本氏が特別発言し、蕨支部の炭谷巴乃助氏が閉会あいさつしました。
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