人は震災をどう生きたか - 歴史にみる震災 - 国立歴史民俗博物館(5月5日)
東日本大震災から3年の3月11日から、5月6日までの期間で、標題の特別企画展が行われました。やっと時間がとれ、こどもの日の5日に行ってきました。
5日は、図らずも早朝に首都圏で最大震度5弱の地震があり、我が家もだいぶゆれました。改めて災害対策を考えながらの、見学となりました。国立歴史民俗博物館は、千葉県佐倉市にあり、私の実家に近く、かつ、私が1歳から4歳まで過ごした佐倉市内にあるということで、よく行く博物館の一つです。
歴史学・地質学・民俗学などの学際研究で、過去2000年ほどの国内各地の大地震の解明が進んでいるとの展示はわかりやすいものでした。1923年の関東大震災の展示では、川口蕨間の鉄道が陥没し、10数日にわたり運休しているなどの、当時の新聞記事もありました。すでに多くの資料や写真で知っていましたが、旧陸軍被服廠跡で4万人近い東京市民が火災で命を落としたことには、改めて哀悼の思いを感じました。
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博物館敷地を北側からのぞむ(博物館玄関はここから徒歩5分) |
1944年12月の東南海地震と、1945年1月の三河地震は、戦時中に発生し、日本にとって不利な情報を流すな、国民が戦意を喪失するとして、詳しく報道されなかった(終戦は45年8月)。それどころか三河地震のときには、「再度の震災も何ぞ」「試練に固む特攻魂」「決戦に手を抜くな」との見出しを掲げる、当時の中部日本新聞が展示されていたが、震災からの復旧活動よりも戦争が優先されたことが読み取れるものでした。(以下この段落、5月6日21時に訂正)1948年6月に起きた福井地震の展示では、当時の戦後占領当局が、救援活動に参加する労働組合や政党などの自主的団体を、扇動的政治活動だと、政治弾圧の対象となっていたことや、それに対する団体側の批判活動などについての資料もありました。
博物館の敷地は、佐倉城があったところで、戦前・戦中には歩兵第57連隊が置かれました。連隊は、15年戦争では旧満州に進駐し、その後、1944年からはグアムなど南洋に進出し、よく知られるように無謀な攻撃でほぼ全滅した部隊です。企画展のあと、常設展示の、「現代」を見学。佐倉57連隊の足跡を含め、日清・日露戦争から、現在までの一連の展示も再見したところです。戦後の新しい社会のもとで創られた雑誌の展示の中には「前衛」創刊号の現物。目次をかねた表紙には、宮本顕治、徳田球一などの名も。「レッドパージにゆれる日本共産党本部」との写真もありました。
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