蕨駅西口再開発は資料1に記述されている通り、1995年(平成7年)2月14日に都市計画決定されました。主要な建築物は(1)店舗(2)住宅(37階のマンション)(3)ホテル(14階)(4)公共公益施設(5)駐車場という計画で、資金計画は(右欄の「資金計画の概要」参照)、総事業費322億円で、220億円の保留床処分金をあてにしたものでした。市の負担は、負担金及び補助金として65億円、その他公共施設と駐車場建設に54億円(総事業費の枠外)、合計119億円を見込みました。
 この再開発計画に対して日本共産党は、(1)約200億円の蕨市の財政規模から考えて市の負担が大きすぎる(2)主要建築物は市民が合意している内容ではなく、超高層ビルは蕨市のまちづくりにふさわしくない、等の理由で都市計画決定以前から反対してきました。
 他市の再開発の例では、区域内権利者の商店が再開発ビルに入って成功した例は少なく、そのことも再開発という手法の問題点の一つでした。法にもとづく都市計画決定のための縦覧で、権利者41人中8人が再開発に反対の意見書を提出しました。それなのに市は、都市計画決定を強行したのですから、ひどい話しです。それ以後、日本共産党蕨市議団の反対理由に(3)区域内権利者の2割が反対している、が加わりました。
 1995年4月と99年4月の市長選は、蕨駅西口再開発計画が大きな争点となり、圧倒的に有利なはずの現職市長が苦戦を強いられました。(95年の市長選は小林一義候補が得票率42.7%を獲得。99年の市長選は頼高英雄候補が44.5%を獲得)全国的に無駄な大型公共事業に対する国民の批判が強まり、政府与党3党は、2000年8月、全国の公共事業の中の233事業に中止勧告を行いましたが、その中に蕨駅西口再開発事業が入っていました。
 市長は、市民と権利者の反対が強いことと市財政が厳しいことから、再開発事業の見直しを余儀なくされましたが、都市計画決定を白紙に戻して検討するのではなく、あくまでも再開発を行う姿勢は変えませんでした。
 庁内につくられた再開発推進検討委員会は、「駅前広場の面積縮小と建築物の一部変更、及び、計画区域を3つに分けて15年程度の長期間の事業にすることで市の負担分をやりくりする。都市計画の変更及び第一期事業の開始時期は平成16年度を目途とする」等の内容を決定し、再開発を推進する報告書(「蕨駅西口地区市街地再開発事業の推進に向けて」ー蕨駅西口地区市街地再開発事業推進検討委員会報告ー)をつくりました(6月に議員に配布)。それにもとづいて市長は、6月定例市議会で再開発推進の市長報告を行いました。
 蕨駅西口再開発事業を行うためには莫大な資金(土地を含む)が必要となりますので、市はその準備として、2002年3月に再開発区域内の民間の土地約777平方メートルを約3億142万円で購入。同時に、再開発事業基金をつくり、5000万円を積立てました。
 上記の再開発推進検討委員会報告では、資金確保のために平成14年度と15年度は各5000万円、16年度からは3億円ずつ積み立てることを目標にする、となっています。
 蕨駅西口再開発事業を行うと、市の財政負担が大きく、他の市民要求が後回しになることが必至と判断できますので、蕨駅西口再開発計画は白紙に戻し、貨物駅跡地の利用等を一から検討し直すべきだと考えます。