「蕨市平和都市宣言」20周年記念市民のつどい開催 市民300名余が平和について考える

  今年は戦後60年、被爆60年と歴史の大きな節目の年です。同時に今年は「蕨市平和都市宣言」が蕨市で採択された20年目でもあります。1985年6月、「非核・平和都市蕨市宣言」を求める市民の会が発足し、この会による8千筆を超える請願署名と宣伝によって、蕨市議会は同年9月9日、請願の趣旨を内容とする「宣言」を全会一致で採択しました。

 この採択20年を記念して、その内容を広く市民に知らせ、日本と世界の平和を守り発展させるために、記念行事を開催しようと市民が実行委員会を作りこれまで準備をすすめてきました。

 そして、9月10日(土)蕨市民体育館多目的ホールにおいて「蕨市平和都市宣言」20周年記念市民のつどいが行われ、3300名を超える市民が集まりました。

 はじめに映画「にんげんをかえせ」「予言」が上映されました。テンフィート運動によって作られた広島、長崎での原爆ドキュメント映画に会場は静まりかえりました。その後、記念式典が行われました。はじめに炭谷巴之助実行委員長が挨拶し、「市民のもっている平和の力を見直す日にしてほしい」と述べました。そして、蕨市と蕨市教育委員会からのメッセージが紹介された後、20歳の青年による「蕨市平和都市宣言」の朗読が行われました。

 そして、「戦禍に残された一つの命」と題して、エッセイストの海老名香葉子さんが記念講演をしました。
海老名さんは東京・下町で過ごした家族の思い出から、東京大空襲で両親、兄弟、祖母6人を一夜にして失った苦しみを涙ながらに語りました。「わずか2時間で10万人もの命が失われた、無残な東京大空襲のことを後世に伝えたい。二度と私のような子どもをつくらないでほしい」「戦争ほどおろかで、悲しいものはない。二度と戦争が起きないように願う」と訴えました。最後に、亡くなった人達の冥福を祈り「母の歌」を会場のみなさんと歌い、講演を終わりました。

 講演後は田中和子さんによる平和紙芝居が行われたり、ロビーに展示された平和パネルを見るなど参加者は平和について考える一日となりました。