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被爆医師・肥田舜太郎氏 反原発・反戦を熱く語る

第2回 原発を考える市民のつどい開く

 4月14日文化ホールくるるで、肥田舜太郎氏の講演「低線量なら大丈夫なのか?」が行われ、150人の市民が聞き入りました。原発を考える蕨市民のつどい実行委員会の主催、昨年10月につづき2回め。
 肥田舜太郎氏は、1917年広島市生まれ。自身も被爆しながらも軍医として被爆者救援と治療にあたります。その後、行田市議、原水爆被害者団体協議会役員、埼玉協同病院院長、埼玉県民医連会長などを歴任。医療活動引退後も講演活動を続け、3・11以後は138回目とのことです。
 肥田氏は、広島に原爆を落とした米政府は、原爆の影響を小さく見せるために、原爆被害を軍事秘密にして、内部被爆などの研究調査や発表をすることを厳しく禁止してきたと告発。軍事と金儲け優先の流れが、今も続いていると述べました。
 さらに、「3・11以後の日本政府は、被爆線量が低いから大丈夫、心配ないと、うそを言い続けている。一番怖いのは、体内に入った放射線。今の医学ではこれを取り除くことができない。67年前の広島の放射線被爆を見た人は、今の政府にも学会にもジャーナリストにも誰もいないのに、根拠もなく安全だと言い続けている。広島の時は、被爆2、3年後から顕著な体調の変化が出てきた。福島原発事故ではそれが心配だ。今からでも遅くない、可能なら、福島の子どもは疎開したほうがいい」と話しました。
 最後に肥田氏は、「起きてしまった原発事故。いま日本人がすべきは、原発と核兵器をなくすこと、アメリカ政府に対して、日本で戦争準備をしないでくれと声をあげ、安保条約をなくし米軍にはアメリカに帰ってもらうことだ」と述べます。大飯原発の再稼動を認めた民主党内閣を批判し、いまこそ日本人が一つになって原発を再開しない覚悟を決めてもらいたいと、参加者に呼びかけました。
 講演後に頼高英雄市長があいさつ。福島の事故を受けて、市民のくらしを守る自治体の使命を果たすため、これまで実施してきた蕨市の施策を報告しました。
 講演会の開会あいさつは坂田良介氏が、閉会あいさつは佐藤一彦氏がそれぞれ行いました。