第五福竜丸・みんなで学びあう映画とトーク - あれから60年… 元乗組員・大石又七さんが思いを語る
|
市田学芸員(左)と語る大石又七さん |
21日「くくる」にて、「世代を超えて語り継ぎたい、心に刻みたい… わらび・みんなで語り合う映画とトークのつどい」が開催されました(同実行委員会主催)。この日上映された映画は「第五福竜丸」、トークは元乗組員の大石又七さんなど。会場は市内外からの参加者で満席となりました。
1954年3月3日、ビキニ環礁で行われたアメリカの核実験によって、日本のまぐろ漁船・第五福竜丸と大石さんなど23人の乗組員は、「死の灰」をかぶり被爆。同年9月に久保山愛吉さんが「原水爆の被害者は私を最後にしてほしい」とのメッセージを残して亡くなるなど、乗組員たちは長年にわたって苦しみ続けることになります。また、この事件をきっかけに原水爆禁止運動は日本から世界に広がったと言われています。
東(ひがし)実行委員長と、頼高蕨市長のあいさつに続いて、第五福竜丸展示館の学芸員・市田真理さんが、数多くの写真や資料を示しながら、事件の経緯や影響、広がる運動の様子等を紹介。入院中の乗組員をはげます郵便物が全国から寄せられ、その中には「蕨」の消印のハガキ(差出人は匿名)もあったことなど、興味深い話が続きました。
その後、車いすで登場した大石又七さんは、市田さんに付き添われながらマイクを握り「今年で80歳。なぜか私だけ長く生きている」「国は最初から(第五福竜丸の事件を)早く忘れさせようとしてきた」「忘れられないように伝えなければ…」と語り、国やアメリカは、わずか9か月で事態の収束を図り、人々の記憶は薄れていったこと、目にも見えない色もない味もしない放射能のために、仲間たちは病気になって周囲の理解もないまま死んでいったこと、(核兵器は)危険であり今後とも無くすために頑張るとの決意などを述べました。また、「知ってほしいことは山ほどある。核兵器や放射能についてとにかく知ってもらうことが大切。そして(核兵器は廃絶すべきと)判断してほしい」と語りトークを終えました。
その後に上映された「第五福竜丸」は1959年に公開された新藤兼人監督の作品。主人公の久保山愛吉さんを宇野重吉、その妻・静さんを乙羽信子が演じ、第五福竜丸と乗組員のドラマをいきいきと描いています。「絶対に忘れてはならない事実」「映画は以前にも見たが、今見るとさらに深刻さが理解できる」「大石又七さんの話を聞きたくて参加した」などの感想も交わされていました。
|