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核兵器のない世界を目指して
わらび原爆死没者慰霊鐘つき祭に50名が参加

8月6日午前8時、長泉院(おしゃみ)で第53回わらび原爆死没者慰霊鐘つき祭が開かれました。

1945年8月、広島・長崎に人類史上はじめての原子爆弾が投下され、その年のうちに約21万人(広島・長崎で)もの尊い命が奪われました。その痛ましい被爆の日から73年を迎えました。

はじめに原水爆禁止蕨市協議会の杉本憲会長があいさつし、「国連では核兵器禁止条約が採択され、核兵器廃絶への動きが進んでいる。被爆者支援を強めていきたい」と述べました。頼高英雄市長は平和都市宣言をした市長として核兵器廃絶への思いを示し、広報蕨8月においては毎回、平和都市宣言全文を掲載していること、蕨に住んでいる人で戦争を体験した人の話を掲載することができたことも述べ、蕨市の平和事業の取り組みなども紹介。「非核三原則の意義がますます強くなってきた、世界の核兵器のあらゆる廃絶を求める」と訴えました。また、広島で被爆した埼玉県原爆被害者協議会(しらさぎ会)事務局次長の高橋溥氏の話では「爆心地から約1・5kmで被爆した。瞬間家が潰れ灰だけになった」と体験を話しながら2枚の絵を紹介。一つは被爆した後の状態で生きて叔母さんの家に集まった時。山の上に月が出ていた事が印象に残っている風景。二つは地球がユートピアになった事をイメージして絵に残したもの。「平和な世界を続けていきたい。本当に考えればできないことはない」と力強く語りました。

その後、原水爆禁止世界大会(広島)へ蕨から参加した代表者の紹介がされました。当日は50人の市民が集まり、梅村さえ子参議院予定候補も参加しました。

ホームページに「ヒバクシャ国際署名」
8月は、当市のホームページに蕨市においての平和都市宣言や「ヒバクシャ国際署名」等、「平和特集」が組まれています。蕨市・庶務課・平和行政のページからご覧ください。