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わらび9条の会 平和講演会 「伊達判決から学び沖縄につなげよう」に参加して(市議会議員 やまわき紀子)

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11月16日、文化ホールくるるを会場に、わらび9条の会の平和を考える講演会が行われました。
 講師に、伊達判決を生かす会共同代表、砂川事件裁判国家賠償請求訴訟原告の土屋源太郎氏を迎えました(写真)。   
 「砂川闘争」とは1955年米軍は立川基地を拡張する計画を発表。日本政府は拡張用地となる農地・住宅を強制接収するために測量が必要となった。しかし、砂川町全体が反対。町長、農民も座り込みなど反対運動を展開。これに労組員や学生も支援に参加。このとき都学連委員長だった土屋さんはその闘いの最前線にいました。1956年には数千人の支援者も座り込み、警官隊のこん棒による暴力で千人以上の負傷者を出した。だが、非暴力で抵抗 (流血の砂川)、警官の暴力に世論も怒りの反応をしめしたことで政府を追い詰めることができた。政府はやむなく測量を中止。
 だが、その後、1957年7月9日に米軍基地内に強制収容に反対する抗議で400〜500人が基地内に侵入。安保条約に基づく行政協定刑事特別法違反で23人が逮捕、7人が起訴(その中に土屋さん)される「砂川事件」がおこり、砂川裁判が執り行われた。 1959年3月30日東京地裁の伊達秋雄裁判長は「米軍基地は憲法違反。したがって全員無罪」の判決を出した。これが歴史に残る「伊達判決」です。
 しかし1960年日米安保条約改定の協議中であった政府は伊達判決が改定交渉の妨げになることを恐れ、田中幸太郎裁判長により原審破棄・差し戻し審の結果、被告の有罪罰金2千円が確定しました。
 そして半世紀後の2008年にアメリカ公文書館でみつかった文書により、田中裁判長はアメリカ大使館に情報を漏えいし、全員一致・伊達判決破棄の判決を出すよう指示をうけていたことが明らかになりました。
 土屋さんはその当時の状況をそのままの迫力で語りました。そして2018年から公正な裁判を求めるため国家賠償訴訟を続けています。「日本はいまに続いてきている大変危険な情勢である。戦争体験は伝え続けていかなければならない。憲法改悪をさせてはならない。野党共闘は大事。あきらめずに粘り強く、楽しみながら闘おう」と呼びかけました。
 「一生闘い続ける」との言葉に勇気と希望をもらいました。