index
核廃絶へ2010年にむけて決意あらたに
3・1ビキニデーに参加して

被災54年3・1ビキニデー集会
被災54年3・1ビキニデー集会
アメリカの水爆実験によるビキニ被災事件から54年を迎えた3月1日、被災したマグロ漁船「第五福竜丸」の母港だった静岡県焼津市で「3・1ビキニデー集会」が行われました。私は蕨原水協の代表として埼玉代表団78名と共にバスで参加しました。
 焼津市文化センターで開かれた集会では、第五福竜丸元乗組員の大石又七さんや、マーシャル諸島のアジャインさんによって映像とともにビキニ事件が語られました。また、2010年のNPT再検討会議にむけ「すみやかな核兵器廃絶のために」の署名運動をさらに大きく広げること等が集会アピールで確認されました。
久保山愛吉さんのお墓
久保山愛吉さんのお墓
 夕方には、久保山愛吉さんのお墓に行き、「核兵器廃絶のためにがんばります」との誓いしてきました。
 2日の原水協全国集会では、午前中に「被爆者援護・連帯―運動の継承を」の分科会に参加しました。被爆者の証言や、各地の平和運動の交流、美帆・シボさんのフランス各地での原爆展開催の取り組みなどの話しがされました。国内、また世界中で核兵器廃絶運動の大きな広がりを実感しました。
2008年原水協全国集会
2008年原水協全国集会
 午後の全体集会では、「核兵器のない世界のための国際行動キャンペーン」として@核保有国をはじめ各国政府が核兵器全面禁止の交渉のテーブルにつくよう行動をつよめ、核兵器廃絶署名を広げるA被爆の実相を普及し原爆展を開催するB「非核日本宣言」の全自治体決議をめざし日本政府を動かすことが呼びかけられました。また、青年たちによるリレートークでは、自由で素直な感情で平和運動に取り組んでいる熱意を感じました。
 私は、はじめてビキニデーに参加しましたが、1954年の3月1日のビキニ被災事件は広島、長崎に続きみたびの原水爆被害に、日本国民を抗議と怒りの渦にまきこみ原水爆世界大会の開催など歴史的な転機となったことを今回初めて知りました。引き続き、地元での署名運動の推進や、被爆者連帯・援護の活動を続けていこうとの誓いをあらたにしました。