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原発事故をはじめ4重苦の福島県南相馬市へ

斎藤さんからお話しを聞く(中央斎藤さん、右端やまわき市議)
斎藤さんからお話しを聞く
(中央斎藤さん、右端やまわき市議)
5月18日に、日本共産党福島相馬地区委員会のご協力を得て、蕨から救援物資を積んで福島県南相馬市へ被災地視察に行ってきました。  
 南相馬市は、原発から20キロ内の小高区が警戒区域に、30キロ内の原町区が計画的避難区域に、30キロ外の鹿島区が緊急時避難準備区域に指定され、新たに避難を指示された住民が大規模な避難を開始するなど3つに分断されてしまいました。20キロ内の小高区については、とにかく避難しろと言われてお財布一つしか持たなかった。いまさら公表して東電や国への怒りは大きい。また、30キロ圏内の小中学校22校は閉鎖され、その生徒すべては30キロ県外の鹿島区の4つの小中学校で授業をうけているが、体育館を仕切って授業を受けるという劣悪な教育条件に置かれているという実態など、切実な状況を詳しくお聞きしました。
 はじめに、南相馬市から少し離れた川俣町で酪農を営んでいる斎藤さん宅にお邪魔をしました。斎藤房子さんは、毎日、牛に餌を与えて乳をしぼって捨てていました。捨てていた原乳の74%しか補償されず、しかも自分の借金として3月分がやっと仮払いされた。飯館村や山木屋地区の人はまだ原乳を捨てている。となりの飯館村にいる2千頭の牛はこれからどう避難していくのか、乳牛は殺傷処分することが決まり仲間は苦しんでいる。孫たちは、息子と東京へ避難、嫁は勤めがあるので帰ってきた。そして最後に斎藤さんは「日本から原発をなくしてほしい」と語りました。案内してくれた関地区常任委員が、東電顧問・元参院議員の加納氏の「低線量の放射線は体にいい」との発言には、怒りがこみ上げたと涙ながらに言われたのが強く印象に残りました。
 その後、南相馬市原町区にある日本共産党ボランティアセンターに向かいました。
 
南相馬市の人口は約7万人で、津波と原発の両方の被害が7万市民にふりかかりました。南相馬市の南端が福島第一原発から10キロ圏にあたります。10キロから20キロ圏内に約4千世帯あり、さらに20キロから30キロ圏内に1万7千世帯、30キロ圏外で津波の被害もなかったのは2千世帯でした。津波が内陸部数キロメートルに及んで押し寄せたため被害面積は40・8平方キロメートル、市面積の1割強になります。死亡や行方不明者は約1300人にもなっています。
午後から津波被害をうけた原町区にある日本共産党ボランティアセンターに行き、荒木千恵子議員にお会いしました。荒木議員は、津波被害をうけた原町区で4軒先の隣家が津波で全て流され、自宅は地震の被害をうけ、電気などが復活するまで知り合いの家に避難していましたが、いま看護師の経験を生かして地域の介護が必要な方をはじめ市民のみなさんのお世話をされていました。
荒木市議の案内で、地震で施設が崩壊したあと津波に飲み込まれ、多数の被害者が出た介護施設や、町がそっくり津波でなくなった海岸付近の現場を調査視察させていただきました。車が津波の力によって丸まっていたり、橋げただけ、家の土台だけ残された瓦礫になった町の情景を目の当たりに呆然としました。まだ行方不明になっている子どものためにあげているいう鯉のぼりが元気よく泳ぐ姿が目に焼き付いています。
 その後、原町区で塗装業を営んでいる菅野さん宅にお邪魔しました。菅野さん宅は地震後から転々と避難先を変え今は自宅にもどり仕事を再開しはじめたところです。菅野さんは、2歳になるお孫さんが避難先で不眠症になり家族一緒にいるのが一番いいと嫁と孫を呼び返したが放射能が心配なこと。今は畑で野菜は作れないけど40万円もする放射能検査器を自分で買って無害を証明しながら野菜を作りたい。これまで会社として育ててきた職人さんが原発によって離れていってしまったこと。ご近所では山形の温泉旅館に避難をして行った人や、お年よりだけおいて避難して行ってしまった人など不満なことが多い。30キロ圏内なので病院の入院や施設入所がないのでどうにかしてほしい。南相馬は原発の経済的援助など何ももらっていないのに、こんな目にあわされどうしてくれるんだと多くの苦しみを語ってくれました。
 南相馬に訪れ皆さんから様々な苦しみをお聞きしました。被害の復旧と今もなお行方不明者の捜索など大きく遅らせているのが今回の原発事故だと思いました。いまも約3万人が全国に避難して帰ってこれません。仮設住宅も5千戸必要なのが30キロ圏外にしか作れず、5月中には1千戸しか作れない状態です。そして、最後に皆さんから言われたことは「日本から原発をなくしてほしい」ということでした。福島原発の電気を首都圏で使って暮らしているということに非常に申し訳なく思いました。この蕨の地域からも自然エネルギーへの本格的な取り組みをすすめていかなくてはいけないと身にしみて感じた視察となりました。選挙後には、不足しているという野菜を持って再び南相馬に訪れることを荒木議員と約束して帰ってきました。